モニターの向こうがわ

Webサービスやアプリを作っている人が見たり考えていることを綴っています

when you gaze into your monitor, the monitor also gaze back into you.

左脳右脳、点と面、およびストーリー構築について

物語の作り方/感動させる技術 - デマこいてんじゃねえ!

読みました。インスパイアされたもの、自分の中で繋がったものを3つほど書きます。(この記事に関して何か言うつもりはまったくありません)

「あたしセンスないんですけどー」という言い訳

物語に必要なのはセンス、と考えている人が多いが、実際は技術あってのセンスである。と述べられています。ここで技術とは「フレームワーク」と言い換えることもできます。仕事においてもフレームワークをガリガリ使って未知のものを理解しやすく分解できる人は尊敬します。反面、ひらめくような直感で常人では考えられないスピードと確度で仮説を構築してしまう人も尊敬します。

フレームワークと直感、技術とセンス、左脳と右脳。行ったり来たりしながら何かを創ったり仕事したりするのですが、中にはセンスがないというだけで技術の研鑽を怠る人がいます。

デザインの仕事をしていると、一緒に仕事をする非デザイン出身の人(プロデューサーなど)がデザインアウトプットをレビューするときに

「あたしセンスないんですけどー」

と前置きした上で、とんでもなく的外れなフィードバックを返してくることがあります。こういう人は自分なりのロジックを説明するわけではなく、ただ単に自分の感性(センスはないと自称しているのだが)のみを頼りに訳の分からないことを言ってきます。

これは自省も含め、自分の専門外の分野に何か口をだすときは必ずこれまで自分が培ってきた自分なりのロジックで相手に説明をするようにしたいものです。

UX デザインにおける「要素」と「配列」

そもそも物語は、「要素」と「配列」から成り立っている。

映画館を出たときに友人とどんな会話を交わすだろう。「あのセリフがよかった」「あのシーンが楽しかった」「あの役者の演技にしびれた」……それらは物語の「要素」だ。しかし、どんなにいいセリフも、タイミングを外せば寒いだけだ。どんな名シーンも、話の筋と無関係に提示されたら観客は混乱するだろう。「要素」を詰め込むだけでは物語は完成しない。それらを適切な「配列」に並べて初めて、観客を感動させられる。

評論家は、物語の「要素」に注目する場合が多い。「配列」に言及する場合はまれだ。「要素」と「配列」のどちらに興味を持つのか。これが物語を創作する人間と、それを消費するだけの人間との分水嶺になるのだろう。

「要素」と「配列」を「点」と「面」と理解しました。Webやアプリデザインにおける点は「画面単位のユーザビリティ」、面は「サービス全体を利用前後も含めた体験」と置き換えることができそうです。画面単位でどれだけ頑張っても、ナビゲーションが悪ければ体験は損なわれるし、そもそもサイトにどうやって来たのか?がサービスを使う動機付けやユーザーの期待値に影響します。

よく、体験をデザインする人は指揮者のように全体を俯瞰すると言われます。評論家のように点だけで品質を見るのではなく、ユーザーの理解を通じて全体を設計する。どちらも時と場合によって使い分ける必要がありそうです。

ヒーローズ・ジャーニー

記事の中で言及されている「ハリウッド式三幕構成」とはヒーローズ・ジャーニーと呼ばれるものだと思います。以前の記事でもご紹介した本「全脳思考」でこのモデルが紹介されていました。物語は一次関数的直線的にクライマックスへ向かうのではなく、いくつかの山なりをギザギザに形成しながら進んでいきます。おおよそ33%時点と80%時点で大きな転換があるのが常なようです。

手書きのメモで恐縮なのですが、ヒーローズ・ジャーニーは以下のステップを踏みます。

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  1. 偏狭な今までの認識
  2. 変化への拒否
  3. メンターとの出会い
  4. 変化への一歩
  5. 最初の変化の試練
  6. 大きな変化への準備
  7. 大きな変化・試練
  8. 進歩と後退
  9. 変化への再挑戦
  10. 最後の変化
  11. 解決

ここまで細かいと起承転結よりもだいぶ扱いやすそうですね。

また本書の中では、このモデルはストーリーだけでなく、プロジェクト進行にも当てはまると説明されています。予め33%と80%時点で大きなトラブルが起きる、など予見の参考に、また意図的にストーリー仕立てにすることでメンバーのモチベーションアップに、など使えそうです。

全脳思考

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